産業医はなぜ疾患モデルに引き戻されるのか

Why Occupational Physicians Drift Back to the Disease Model

産業医は本来、

病気を診断する医師ではありません。

産業医の役割は、

働くことによって生じる健康リスクを評価し、

企業の意思決定に必要な情報を提供することです。

しかし実際の現場では、

多くの産業医がある瞬間に迷います。

それは、健康診断の数値や診断書を前にしたときです。

例えば、

・血圧が高い

・健康診断で異常値が指摘される

・診断書に病名が書かれている

そのとき、思考は自然と次の方向に引き寄せられます。

「この病気は大丈夫だろうか」

つまり、

疾患の視点です。

しかしこれは、産業医の本来の判断構造ではありません。

主治医と産業医の視点

主治医の役割は、

病気を診断し、治療することです。

そのため主治医の思考は、

疾患 → 日常生活

という構造になります。

一方、産業医の判断は異なります。

産業医が評価しているのは、

疾患そのものではなく、労働リスク

です。

つまり判断の構造は、

仕事 × 健康状態 = リスク

になります。

ここに、主治医との決定的な違いがあります。

なぜ産業医は疾患モデルに戻るのか

それでも産業医が疾患モデルに引き戻される理由は、

とても単純です。

産業医が最初に受け取る情報が、

医学情報だからです。

・健康診断

・診断書

・検査値

これらはすべて、

医療の言語です。

そのため、思考も自然に

医療モデル

へと引き寄せられます。

そして気づかないうちに、

産業医の説明も医療的なものになります。

例えば、

「血圧が高いので注意してください」

これは医学的には正しい説明です。

しかしこの言葉は、

産業医の役割を伝えてはいません。

産業医の言葉はリスクの言葉である

産業医の説明は、本来こうなります。

「現在の血圧の状態では、

長時間労働や連続勤務が続いた場合、

脳・心血管イベントの発症リスクが上昇します。

特に、

疲労の蓄積や睡眠不足が重なる環境では、

リスクはさらに高まるため、

労働時間の管理や負荷の調整が必要な状態です。」

これは病気の説明ではありません。

働き方のリスクの説明です。

同様に、

「現在の血糖コントロールの状態では、

不規則勤務や長時間の連続業務が続くと、

血糖変動に伴う集中力低下や判断力低下のリスクが生じます。

特に、

食事タイミングが不安定になる環境や、

休憩が確保されにくい業務では、

安全面および業務遂行上のリスクが高まる可能性があります。」

という表現も可能です。

つまり産業医は、

医学情報をそのまま扱うのではなく、

働き方という文脈に置き換えたうえで、

「労働条件におけるリスク」に変換しているのです。

これらは疾患の問題ではなく、

現在の健康状態と業務条件の組み合わせによって

リスクが顕在化する状態です。

したがって、対応は

医療管理だけではなく、

労働条件の設計とセットで検討される必要があります。

産業医の仕事は、

数値を評価することではなく、

その数値がどの働き方と組み合わさったときに

リスクになるのかを示すことです。

つまり産業医は、

病気を説明する人ではなく、

労働リスクを翻訳する人

なのです。

産業医に必要なのは業務情報

このとき、産業医の判断に不可欠なのが

業務情報です。

例えば復職面談では、

・出張頻度

・深夜業の有無

・単独作業

・拘束時間

・医療アクセス

・緊急対応の可能性

こうした情報がなければ、

リスクは評価できません。

産業医の面談は診察ではありません。

それは

職場リスクのアセスメント

です。

産業医の言葉が構造を作る

実務の中では、

「管理者が理解してくれない」

という声を聞くことがあります。

しかし問題は理解力ではありません。

言語の違いです。

・医学の言語

・労働の言語

この二つは異なります。

産業医の役割は、

この二つをつなぐことです。

つまり産業医とは、

健康情報を労働リスクへ翻訳し、

企業の意思決定につなげる存在です。

SATという位置づけ

そして、この構造を明確に言語化したものが

SAT(Structural Accountability Theory)

です。

SATは、

健康問題を個人の問題として扱うのではなく、

健康状態と労働条件の組み合わせによって生じるリスク

として捉えます。

つまり、

誰の責任で、どの要素を調整すべきか

を明確にする理論です。

産業医は、

医学情報を労働リスクへ翻訳することで、

事業者が意思決定できる状態をつくり、

働き方の設計に関する判断を可能にする役割を担います。

産業医は、

病気を説明する人ではありません。

構造を動かすために、リスクを言語化する専門職です。

Keywords

Occupational Health

Occupational Physician

Work Fitness

Fit to Work

Workplace Risk

Return to Work

Structural Accountability Theory

SAT